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"秘書の秘書”プロジェクトメイトの管理人のプロフィール (2007年10月記述)
いままで、本名もきちんとこのホームページで明かしてはいませんでした。その理由は?
まだ不安だったからです。このインターネットの向こう側にいらっしゃる、すなわちこのホームページへアクセスしてくださる方達がどういう人なのかと言うことがわからないから・・・・
でも、それはこのホームページへアクセスしてくださる方も同じ気持ちだと思います。
いったい、このホームページの管理人は、どういう人物なのか? 偉そうなことを言っているけど、信用できる人物なのか? 判りませんよね。
いま、私は本格的にインターネットビジネスに参入することを決意しました。そうだとすれば、私がどんな人物なのか、少しでもわかっていただく必要があると思うようになりました。
幸い、いままで私のホームページやブログを読んでくださり、私にご連絡くださった方達は、本当にまじめな方達ばかりで、私も少しでもお役に立てればと微力ながらアドバイスもさせていただきました。
もちろん、アクセス数もそれほど多くなく認知度もまだまだこれからですから、今後、どんな方がアクセスしてくださり、コンタクトを取ってくれるかは未知数です。
コンタクトを取ってくださる方の中には、もしかしたら私にとって快い方からばかりとは限らないかもしれませんが、でも、いまはそんな方達にも対処できるという気持ちになってきました。自信がついたというところまでは行っていませんが、不安は消えました。
これから、いろいろな方とコンタクトを取りながら、私も成長していこうと思います。
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いままで私がやってきたこと:
秘書として30年余り、バリバリのサラリーマンです。父もサラリーマンでしたから、起業とか商売とかは全く縁が無く暮らしていました。
まず、私がなぜ秘書になったのか? 高校2年生の時、突然父が亡くなったからです。癌のため、3ヶ月の入院で亡くなりました。
稼がなくてはと思った時、お給料がよさそうと思えたのが 秘書という仕事でした。英語がそれほど得意だったわけでもなかったのですが、外人付きの秘書になるが私の目標になりました。
以下私が勤めた主な会社を書いてみます。
会社名を伏せて書くということも考えたのですが、いまひとつ説明が判りにくくなってしまいそうなので、会社名もそのままに書いてあります。時代の流れで会社によっては辛い時期もありましたが、全般的に上司、同僚には恵まれていたと思います。
仕事を通じでいろいろ教えていただきました。これらの会社あっての今の私です。
まずメリル・リンチ・インターナショナル
まだ日本での証券取引ができない頃のことです。社名も証券会社とはなっていませんでした。日本では、認可が降りてなく証券会社という社名はつけられなかった頃のことです。メリルリンチの調査部で働きました。日本の優良会社を調査しアメリカの本社に報告するというのが主な仕事でした。日本人とアメリカ人、そして私の3人の部署でした。事務所は、六本木の防衛庁の前の小さなビル、そう今の東京ミッドタウンの向かい側です。
その頃のコミュニケーションツールは、テレックスのみ。それも、私の事務所にはなく、虎ノ門にあった本社に毎日、メッセンジャーさんが届けてくれていました。
テレックスは、24時間体制で,男性のみがシフト制で働いていました。女性が、夜中に働くなんてできなかった時のことです。
一方、働いている女性は、ほとんどが帰国子女かそうでなくても英語はペラペラ、あるいは、フィリピンなどから働きにきている外人女性でした。
いまでも、お付き合いのあるその時に知り合ったフィリピンの方は、英語も英文速記もできる優秀な人でしたが、国には秘書のような仕事がないからと日本まで仕事をしに来ていたのです。日本語ができないので、わからないところを助けてあげたことから仲良しになりました。
でも、日本語より英語ができた方が仕事は進むというそんな事務所でした。学校でしか英語を勉強していない私は、英語コンプレックスに悩んでいた頃です。ここには、2年弱しか勤務せず、アメリカの大学の夏季セミナーに参加するために、辞めてしまいました。
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コールドベック・コーポレーション
この会社はすでに存在しません。私が退社後、解散となってしまいました。 イギリスの会社で、ウィスキー、コニャック、ワインの輸入販売をしていた会社です。
ウィスキーは、ジョニーウォーカー、コニャックは、クルバジェ、その他チンザノ、アンティノリ、バカーディラム、などかなり名の通ったお酒を扱っていました。
いまは、ウィスキーを飲む人は少なくなってしまいましたが、当時は、ジョニーウォーカーといえば高級なお酒の代名詞みたいなもので、正直、黙っていても売れた時代でした。
海外旅行のおみやげと言えば、ジョニーウォーカーを買ってきた頃です。反対に、いまは、食事時だれでも当たり前に飲んでいるワインはサッパリ売れずに、ワイン担当の人は相当苦労していました。
時代は変わりましたね。
この頃は、仕事が楽しくて楽しくて仕方がなかった頃です。先輩秘書の人達も、厳しいけれどいろいろ教えてくださいましたし、一番いろいろなことを勉強できた会社でした。
この頃のコミュニケーション手段は、主に郵便で送る手紙、毎回、5から6枚のカーボンコピーを入れて、電動タイプで手紙を打つのが秘書の主な仕事となっていました。緊急の連絡は、テレックスか電話。後半になってようやくファックスが導入されましたが、相手がファックスを持っていなかったりして、常に使えるとは限らない状態でした。
アメリカの大学に1年行くために、8年近く勤めて辞めました。
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ニベア花王株式会社
ご存知花王とドイツのバイアスドルフ社との50:50の合弁会社です。ドイツ人の秘書として入りました。ほとんどが、花王からの出向社員で、私がニベア花王採用の第1号でした。
バブル真っ盛りの頃ですから、広告費、マーケティングもはでにやっていた頃ですね。
花王の組織力というのは、本当にすごいの一言でした。お客様相談の組織もこの頃発足し、全てのデータ化など、早くから取り組んでいましたので、ドイツの親会社より一歩も二歩も前を行っている感じでした。
オーストリア人、ドイツ人、フランス人と付いたボスも国際色豊かでした。扱っているのが化粧品やコンシューマグッヅでしたので、仕事としてはおもしろい仕事でした。でも、3人のボスに付き次のボスに代わるなら会社をかわっても同じだと思い、また、あまりに組織がしっかりしすぎているのでおもしろくなくなり結局、8年近く勤めて辞めました。
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アマシャム製薬 社名が変わって コダッククリニカルダイアグノスティック またまた社名が変わって オーソクリニカルダイアグノスティック
転職したわけではないのですが、在職中の4年間に3回社名が変わりました。 あまりに、花王の組織ができあがっていたので、会社の設立当初から関わりたいという思いから、アマシャム製薬に(イギリスの会社です)に入社しました。
この時、アマシャム製薬の1つのの部門をコダックが買い取り、新会社を設立しようという、ちょうどその時だったのです。これなら、新しい会社には設立当初から関わることができるので面白いと思ったからです。
1年間の準備期間を経て、コダックの新会社を設立、創立1周年記念のパーティーをやっているところに、衝撃のニュースが伝わりました。
本社コダックの新社長が、コダックの写真部門以外を全て売却すると発表したのです。普通、売却の交渉は、水面下で行われ、発表の時には売却先が決まっているものなのですが、この時はよりよい交渉先をみつけるためと、売却の意向という事実のみで売却先がきまらないままの発表でした。
売却先がきまらないままの不安な一年を過ごし、1年後にジョンソン&ジョンソンの傘下に入り、オーソクリニカルダイアグノスティックスという会社になりました。
この間、私は健康を害し、2度の手術、また義理の兄の会社が倒産し、連帯保証人として私が、莫大な借金を負ってしまいました。また、コダックでは、社長秘書をしていたため、私の秘書としての仕事はなくなり、輸入業務という全く新しい仕事を担当することになりました。
コールドベックの時代に輸入業務がどういうものか知っていたこともあり、この新しい仕事には、それほどの抵抗はありませんでした。また、オーソに移って新しい仕事に慣れるのに夢中で、自分の病後の心配をしている余裕がないことが反って幸いし、どうにかこの難局を切り抜けることができました。
それもつかの間、コダック時代からの重役が退任させられ、元コダックの社員の状況は、あまり幸せとは言えなくなってしまいました。 結局、こちらもトータルで4年を過ごし退職しました。いまから考えれば、いろいろ貴重な経験のできた会社でした。
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スミスクライン・ビーチャム製薬 合併で社名が変わって グラクソ・スミスクライン製薬
ここでも、在職中に社名が変わっています。最初に入ったスミスクライン・ビーチャム製薬には、実は私は出戻りなんです。ニベア花王に入る前、ほんの1年ほど、スミスクライン藤沢というアメリカと日本の藤沢製薬の合弁会社で勤務したことがあります。その後、藤沢との合弁契約が解消され、イギリスのビーチャムと合併し、スミスクライン・ビーチャム製薬となっていました。
前の会社を辞め、仕事をさがしている時に友人から、コンシューマ部門に新しいアメリカ人のジェネラルマネジャーが赴任するので、即勤務できる秘書を捜しているという情報をもらい、契約社員として入社し、その後正社員となりました。後で判ったことですが、このアメリカ人のボスも、コダック傘下の会社の社長をしていた時、コダックから売りに出され、その会社を買ったのが、スミスクライン・ビーチャムでこの会社へ移籍したとのことでした。
結構、外資系の業界は狭く、どこかですれ違っているなどということがたびたびあります。 そんなことが判明し、このボスの人柄もとても良いことから、今彼はリタイアーしてハワイに住んでいますが、いまでもお付き合いは続いています。このボスとも、スミスクライン・ビーチャムとグラクソ・ウエルカムという会社と合併が決まった時、彼は早めに定年退職の路を選んだので、お別れすることになりました。
スミスクライン・ビーチャムというのは、アメリカとイギリスの会社が合併してできました。グラクソ・ウエルカムというのも、アメリカとイギリスの会社が合併したものです。またまた、その会社が合併したわけですが、このまま名前を?げていったら、じゅげむじゅげむになってしまいそうです。
結局社名は、グラクソ・スミスクラインとなりました。同じ製薬会社でも、それぞれ文化が違い、カラーの違う会社が合併するとちうのは、かなり大変でした。また、50%:50%というのも、力が拮抗してしまうため反って難しいものだと思いました。
けれど、先日、久しぶりに会社を訪ねたところ、半数以上の人が入れ替わっていました。外資系は、比較的社員の出入りが激しいですね。でも、こうしてグラクソ・スミスクライン製薬の時代しか知らない人が増えてきて、会社のカラーも統一されてくるのだと思います。
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ここまでが、私の秘書として経歴です。こうしてみると、本当にいろいろな会社にお世話になりました。グラクソ・スミスクラインを退社後もしばらくは、秘書としてどこかの会社に勤めようと仕事を探していたのですが、結局、以前とは状況が変わっていることから、断念しました。というより、秘書として仕事を続けることに魅力を感じなくなってしまったのです。
私の秘書時代の前半、転職は自分の意思で行っていますが、後半になると(もちろん最終的にその会社を離れることは自分で決めたのですが)世の中が変化し、仕事の形態が変わっていったことが大きな原因となっています。
いま考えますと、私の若い時代は、本当にラッキーで、仕事を通じて経験を積みながらキャリアアップできた時代です。
いまの時代の若い方は、厳しい会社の条件の下で、さらに自分の経験をつまなくてはならないわけですから、大変ですね。
時代が変わってきていることは確かです。その時代、時代に合った、自分のキャリアプランを立てることが、今必要になっているようです。
私のいままでの経験が、なんらかのお役にたてばよいと思いながら、このホームページ「秘書の秘書」で情報発信をしています。
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いよいよ、これからの私のことです:
グラクソ・スミスクラインを退社後は、贅沢を言わなければ仕事はあるといささか高を括っていました。でも世の中の状況は、私が考えていた以上に変化していたようです。
そんな時、時間があるからとホームページ作りのための学校へ通うようになりました。その頃、仕事を探していた時に「英語ができて、ホームページの更新ができる人」という求人広告が目にとまったからです。
ですから、最初はその技術を習得して、会社勤めをするつもりでいました。その後、学校を終えたのですが、本格的なプロとしてのホームページ作りは、かなり大変だと悟りました。
それでも、せっかく習得した技術はもったいないと、ホームページを立ち上げ、メルマガなどで情報を収集しているうちに、インターネットの世界に首を突っ込むようになったのです。
この世界へ首を突っ込んだのは良いけれど、かなり大変でした。(いまでも、大変です!) 判らないこと、知らないことが多すぎるのです。
秘書時代、e-メールはもとより、ワード、エクセル、パワーポイントとコンピュータにはかなり慣れ親しんできたつもりです。でも、インターネットの世界は、またちょっと違う世界なんですね。
まだ、それほど整備されていない世界ということもあるでしょうが、何かもうひとつ掴みきれなくて、悶々として日が続きました。
それでも、どうにかブログをいくつか立ち上げ、つい先日はメルマガを発行することになりました。
ここに来て、何をすべきかが頭の中ではクリアになってきました。
そのきっかけは、ひょんなことから私の目にとまった、ひとつのメルマガ広告からです。 そのメルマガにより、宮川明さん主宰のInsiderClubのメンバーになり、いまでは、宮川明さんのパートナーマーケッターとしていろいろ勉強させていただいています。
いよいよ、インターネットビジネスに本格的に参入することに決めました。
まだ、未知数ですが、インターネットの世界でのほんの少し皆さんより、先輩だとすると、またこの世界での情報を皆さんとシェアできるのではないかと思っています。
ちょっと期待していてください。
私の、進化状況は、このホームページやブログ、そしてメルマガを通じて発信していきます。
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このサイトの管理人は、 こんな感じの人物です。 | |
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